東京高等裁判所 昭和42年(ネ)248号 判決 1968年12月21日
控訴人 京浜急行電鉄株式会社
被控訴人 国
代理人 平山勝信 外二名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事 実<省略>
理由
一 (証拠省略)によれば、つぎの事実を認めることができる。
連合国最高司令官代理副官部補佐官ハロルド・フエアは、昭和二〇年九月一一日日本政府に対し、米国空軍輸送部隊の基点として使用するため羽田空港拡張工事に着手すべく、同月二二日までに訴外東京急行電鉄株式会社所有の地方鉄道穴守線の海老取川橋梁から終点穴守駅までの七六五米にわたる軌道、駅舎その他一切の鉄道施設(以下「本件施設」という。)を含む附近一帯の施設、建造物を撤去すべきこと等を命ずる覚書を発した(連合国最高司令官が本件施設の撤去を指令したことは、当事者間に争いがない。)ので、右覚書にもとづきその覚書の趣意を実施するため、日本政府は同月二〇日ごろ終戦連絡中央事務局から蒲田区役所を通じて訴外会社に対し、四八時間以内に本件施設一切の撤去を命じた。そこで、訴外会社は、ただちに、連合国軍の監視のもとにその撤去にかかつたが、その撤去は定められた期限内に完了しなかつたけれども、それほど遅れることもなくそのころ完了した。ついで、施設撤去後その敷地は連合国軍のため接収された(右施設が連合国軍によつて撤去され、その跡地が接収されたことは当事者間に争いがない。)。その後昭和二三年六月一日訴外会社から控訴人に対し右穴守線の地方鉄道および前記撤去および接収によつて被控訴人に対し生じた一切の損失補償請求権が譲渡された(この事実は、被控訴人の明らかに争わないところである。)。そして、昭和二四年一月八日特別調達庁契約局長と控訴人との間で右撤去後の敷地について、昭和二〇年九月二一日にさかのぼつて土地借上契約が締結され、その後右契約は改訂されていたが、一方、昭和二四年三月二五日付をもつて在日米国第八軍調達部ジヨン・シー・コリンズから日本政府に対し右撤去後の敷地を含む羽田空港内の土地施設等一切の使用権を昭和二〇年九月一一日にさかのぼつて調達する旨の追認的な調達要求書が発出され、右敷地については(昭和二三年三月三一日付覚書―スキヤツピン第一八七二号―の定める)適式の調達要求にもとづく調達が行われた形式がととのえられた。その後昭和二七年七月一日右接収が解除され、右敷地は控訴人に返還された。
以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、昭和二〇年九月一一日に連合国最高司令官が出した覚書にもとづきその覚書の趣意を実施するために日本政府がとつた措置によつて訴外会社所有の本件施設が撤去されたものということができる。
二 このような連合国最高司令官の覚書にもとづき、その覚書の趣意を実施するためにとられた日本政府の措置は、憲法の枠外にあり、当時の国内法令に照らしてその当否を論ずることができないものであり、本件当時右措置にもとづく撤去により損失をこおむつた者に対する補償について規定する法規が存在しなかつたため、その者が何人からどのような形でその補償を受けうることになるのかは、大いに問題の存するところである。
三 控訴人は、「右撤去については、土地工作物使用令により被控訴人国がその補償をすべきである。」と主張する。ところで、連合国軍の日本管理方式は、連合国軍が例外的に直接管理を行うことがあるが、原則的には日本政府に指令を発し、日本政府がこれにもとづいてその国内法を整備して統治を行ういわゆる間接管理方式をとつていたのであり、連合国軍の調達に関していえば、その要求実施上日本政府に必要な権限を賦与するためにポツダム勅令第五四二号にもとづき昭和二〇年一一月一七日前記土地工作物使用令等が制定施行されたのである。したがつて、それ以後は、連合国軍の調達要求実施のため日本政府は同令を適用することができるに至つたのであるが、それ以前はもとより同令を適用する余地なく直接覚書にもとづくとかあるいは別途契約を締結すること等により右要求実施のための措置を構じていたといえるのである。本件撤去も同様であつて、同令にもとづいて行われたものではなく、同令に遡及適用の規定もないから、右撤去に同令が適用される余地はないといわなければならない。控訴人は、「本件においては右撤去に引続いて敷地が接収され、右接収状態が同令施行後も継続していたから、同令の適用がある。」と主張する。しかしながら、接収されていたのは右撤去後の敷地の使用権であり、右敷地については控訴人と特別調達庁との間で後に借上契約がなされるに至つたこと前認定のとおりであり、敷地について同令が適用された訳でもないのであるから、土地接収が同令施行後も継続していたからといつて、当然に施設撤去についてまで同令の適用があるということはできない。
四 控訴人は、「かりに同令の適用がないとしても、大日本帝国憲法第二七条、日本国憲法第二九条の立法精神に則り正義と公平の観念に立脚し、条理上被控訴人は本件損失を補償する義務がある。」と主張する。連合国軍の覚書にもとづき調達が行われた場合その補償がいかになされるべきかは、右覚書を含む占領法(日本管理法)が超憲法的効力を有するものであるから占領法体系下においてこれがどのように規定されていたかについてみる必要がある。この点については、昭和二〇年九月二五日付覚書「日本における調達に関する件」(スキヤツピンA第七七号)において、調達要求書の書式および要求手続等の調達方式を定めるとともに調達が行われた場合には日本政府において提供者に対し迅速な支払をなすべき旨を定めているから、さしあたつて連合国においてその支払をするものでないことを宣言していることは明らかであるが、さりとて、右のとおり日本政府において支払をなすべき旨を抽象的に定めているだけで、その支払額、支払手続を定めている訳ではないから、前記土地工作物使用令等の国内法令あるいは別途国と提供者の間で行われるべき契約をまたずに右覚書のみを根拠として国の補償義務を発生させうるかどうかについては疑問があり、ことに、右スキヤツピンA第七七号は、本件撤去を命じる昭和二〇年九月一一日付覚書の後である同年九月二五日付をもつて発出されたものであつて、本件撤去は、占領開始直後の連合国軍の日本管理方式の整備しない混乱期において行われたといえる。したがつて本件の如き調達は、右スキヤツピンA第七七号覚書の定める方式に従つているといえないものであるから、これにその遡及適用を認め、右覚書により被控訴人に補償責任を課することは、ただちにこれを肯定しがたいといわなければならない。のみならず、その後発出された昭和二三年三月三一日付覚書「占領軍用予算支出に関する件」(スキヤツピン第一八七二号)において、新たなる調達方式が定立されるとともにこれに則らない調達に対する政府の支払がなされないことおよび従前の調達に対する政府の支払は昭和二三年六月末日(スキヤツピン第一八七二号の二により後に同年一〇月九日と改正された。)かぎりなされないこと等が指令された(もつとも、右により支払が否定されたものの中でも後に連合国軍の特段の承認を経たものについて政府支払がなされうることは当然である。)から、国はこのかぎりにおいてその補償義務が否定されたものというべく、右特段の承認を認めるに足りない本件撤去についての補償は、この点からも被控訴人の負担となしえないといわざるをえないのである。(なお、昭和二四年三月二五日に至つて、本件敷地の使用についてのみ昭和二〇年九月一一日から調達するとのいわば追認的な調達要求書が発出されたことは、前認定のとおりであるが、これは右スキヤツピン第一八七二号覚書との関係からその定める方式に従つた調達が行われた形式をとるためであつたと解される。)そして、その結果は、当時調達の対象とされながら補償を受けえた者、全く調達の対象とならなかつた者等と比較すれば、不公平になることが明らかで、これが適正妥当を欠くことは否定しえないところであり、占領下において調達の提供者に対し被占領国において逐一その補償責任を負担することは、国民の負担の公平を期する上からはもとより望ましいことではあるが、他方では、調達手続を規制し濫調達を防止するため、あるいは被占領国の経済状態を考慮し、その経済の自立安定を図ることもまた必要なことであつて、これらの諸事情を考慮して占領目的達成上被占領国に支払義務を課さずあるいはこれに制限を加えることは、占領政策上余儀ないことである。右覚書に超憲法的効力を認めるべきこと前記のとおりである以上、この結果は是認せざるをえないのである。
なお、占領費を、被占領国の負担とすることは国際法上の慣行であるといわれることがあり、その事自体は事柄の性質上むしろ当然ともいえるのであるが、これが連合国軍による日本占領に妥当するとしても、それは、占領国と被占領国との間における占領費負担の慣行をいうだけで、そのうえさらに被占領国とその国民間における補償義務の所在にまでふれるものとはとうてい考えられないし、平和条約もこの点に触れておらず、その後この点についての国内法令が制定されていないから、上に述べたところに変更はないのである。
このように、占領法体系下においては、被控訴人に本件撤去の補償責任を帰せしめえないのであるが、さらに、条理にもとづいてこの責任を負担させうるかについてみると、本件調達は、大日本帝国憲法下において行われたものであるところ、一般に公法上の損失補償は、負担を適当に配分し、その間の調節を図り、公平を期するものであるから、理念そのものは法の目的である正義公平の理想に合致するものであるけれども、これを実定法の規定によらず当然に権利として主張しうるかどうかは、大日本帝国憲法には日本国憲法第二九条第三項のごとき規定を欠いているのみならず、そもそも正当補償の観念、内容が必ずしも一定したものではなく、補償を与えるかどうかその程度をいかに定めるか等は終局的には立法政策によつて左右しうるところと解しうるのであり、ことに本件のような占領軍による調達における補償責任を、占領法体系下においては否定されているにもかかわらず、当然に被控訴人においてこれを負担すべきであるとの条理の存在はただちに肯認しがたいというべきである。
五 そうすると、被控訴人は、本件撤去についてその補償責任に任じないものといわざるをえないのであるが、(証拠省略)によれば、被控訴人は、本件撤去に対する補償として撤去当時の損失を金一九五万四二八二円と算出し、これを控訴人に支払おうとしたが、より多額の補償を要求する控訴人の受入れるところではなかつたので、控訴人宛にこれを供託していることを認めることができる。しかしながら、前掲各証拠によれば、前記スキヤツピン第一八七二号覚書により補償の根拠を欠くに至つた調達等について、補償をしないで済ますことは公平の原則にもとる等の理由から、被控訴人は、平和条約発効後である昭和二七年六月二〇日、行政措置として、「占領期間中ニオケル不動産関係ノ債務処理手続」なる準則を定め、行政ベースにおいて可及的に右の損失を補償してこれを救済することとし、控訴人に対しても、この観点から前記補償額を算出供託しているものであることを認めることができるから、右補償は、いわば政治的配慮にもとづくもので、それ自体望ましいことといわなければならないが、この点についての立法措置がなされている訳ではないから、右の事実あるの故をもつて被控訴人に補償義務の存する根拠とすることができるものではないというべきである。
六 これを要するに、本件において控訴人の主張する損害は、戦争損害の一種であるが、このような損害は他の種々の戦争損害と同様、多かれ少かれ国民の堪え忍ばなければならないやむをえない犠牲なのであつて、その補償の如きは旧憲法たると現憲法たるとを問わず、その全く予想しないところであつて、旧憲法二七条も現憲法二九条もともにその適用の余地がない問題といわなければならない。本件の如き損害に対し、国が政策上の理由をもつて立法的に、または行政的に前認定の如き措置をすることは別として、被害者が国に対しその補償を求めることは到底これを認めることができない。しかして、控訴人が本訴において求めている補償は、右の如き経緯によつて撤去された本件施設の昭和二七年七月一日現在における時価相当額および、右施設の存在を前提とする前記接収期間中の得べかりし営業収入であるが、右撤去について被控訴人に補償責任ありといえないこと右のとおりである以上、その余の判断をまつまでもなく、控訴人の請求は失当といわなければならない。そうすると、控訴人の請求を棄却した原判決は、結局相当で、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小川善吉 萩原直三 川口富男)